今回紹介するのはハセガワの1/700スケールキット、那智(なち)です。那智は日本海軍の重巡洋艦、妙高型巡洋艦の2番艦になります。
妙高型巡洋艦とは
第1次世界大戦の後、連合国は海軍力の強化を進め、軍備の拡張に伴う経済負担が各国の予算を圧迫する事態を引き起こしました。
1921年11月、日英米仏伊の5大海軍国はこの軍備の拡張競争を抑制すべく、海軍軍備制限のための会議をアメリカのワシントンD.C.で行ないました。討議の結果採択された条約をワシントン海軍軍縮条約と呼びます。
この条約で巡洋艦は基準排水量1万トン以下、備砲は8インチ(20.3cm)の間と定められたため、各国はこの範囲内で最大限の性能を有する艦船の建造に力を入れることになります。
この軍縮条約を受け、日本海軍司令部の出した要求は主砲20cm砲8門、61cm魚雷8門、35.5ノットの速力を有することでした。これに対し、設計主任官の平賀氏は魚雷を廃し、主砲は20cm連装砲を前部甲板に3基、後部甲板に2基の合計5基10門装備の設計案を提出しました。軍司令部は魚雷の搭載を要求したものの、平賀氏が受け入れなかったため、平賀氏が欧州視察の不在時に設計変更を行い、片舷2基、計4基の魚雷発射管が搭載されることになりました。
このように設計変更によって魚雷を追加搭載することになりましたが、強度を確保するため発射管は艦内に収める形となり、居住区画が不足することになります。200トンの雷装に加えて不足した居住区画を900トン増設した結果、基準排水量は条約を1割ほど超過する10,902トンとなりました。その後、妙高型巡洋艦は兵装の進歩に合わせ1935年と1940年に2度の近代化改装を受け、基準排水量も13,000トンとなりました。
那智について
妙高型巡洋艦は4隻建造され、ネームシップの妙高のほかに那智、足柄、羽黒と命名されました。那智は妙高型巡洋艦の2番艦にあたります。
1924年11月に呉海軍工廠にて起工、1928年に竣工しました。太平洋戦争開戦時には第2艦隊第5戦隊に所属しフィリピン攻略やジャワ島攻略の任に従事しました。
1944年10月、戦況の悪化に伴い第二遊撃部隊(通称、志摩艦隊)に編入されレイテ沖海戦に投入されます。スリガオ海峡突入時、那智は雷撃後の転舵中に退避行動中の最上と衝突し、艦首を破損し速力の低下を招き修理のためにマニラ湾へ引き返すことになります。同年11月、マニラ湾にて米空母レキシントンからの艦載機による空襲で沈没しました。
キットについて
ハセガワの那智は2000年12月に2200円(税抜き)でリニューアルされたものが発売されており、この記事の作例はリニューアル前の旧キットです。
このキットは知人に「買いはしたものの、ずっと寝かせてしまっているのでもらってくれないか」と渡された艦船模型たちの中に入っていたものです。
譲っていただいたキットはこの那智のほかに愛宕、利根、瑞鶴など。当時知識もないためこれらの艦船に強い思い入れはなく、艦船模型を作る自信もありませんでしたが、練習にもなるため譲り受けることにしました。
説明書はシンプルな構成です。パーツ点数が少なく、完成までそれほど日数を要さないため、気軽に楽しむにはうってつけだと思います。
塗料は日本海軍工廠標準色(SC01:呉海軍工廠標準色)を使用しました。今回のテーマはディテールには目を瞑りつつ、汚しを強くすることでごまかせないかどうかの実験です。ストレートにキットを組んだ後に、ウォッシングをキツめにしてみました。
タイトル画像ではネームプレートを添えているため、パッと見ではそれっぽくなりますが、細部を改めて見てみると詰めが甘いですね。特に主砲や高角砲の情報量が少なく、物足りない感じがしてしまいます。
総評
旧キットということもあり、色々な部分が簡略化されていて、各部の精密感は今ひとつの印象です。ガンプラで例えるならHGUCやRG全盛期に旧キットを組むような感じでしょうか。素人目に見てもカタパルトや探照灯台のトラスなどのもっさり感は時代を感じさせるものでした。
内容がシンプルな分、すぐに形にさせることができますが、作る過程の楽しさや完成時の達成感はしっかり味わえるので初心者の方や気軽に組み立てたい方にはちょうどいいボリューム感かもしれません。