【キットレビュー】フジミ 1/700 日本重巡洋艦 利根

今回紹介するキットはフジミの1/700スケールキット 利根(旧キット)です。利根は日本海軍が建造した利根型重巡洋艦の1番艦になります。

日本海軍の艦船の命名規則では一等巡洋艦に分類される重巡洋艦は山、二等巡洋艦に分類される軽巡洋艦は河川の名前とすることが慣例となっていますが、本艦はその規則から外れていますが、これは当初の計画では最上型巡洋艦の5番艦として計画されていたためです。

利根型巡洋艦について

利根型巡洋艦の設計は1934年に開始されました。日本海軍が最上型巡洋艦をベースに、主砲を減らし水上偵察機6機を搭載できる水上機母艦を求めたことに始まります。

当時、海戦において巡洋艦の搭載する水上機の索敵能力は重要視されていたものの、アメリカの巡洋艦の搭載機数(4機)に及びませんでした。

そこで、航空索敵手段の充実を図るべく最上型軽巡洋艦に諸改正を加え、主砲の門数と引き換えに水上機を6基搭載できる水上機母艦として設計したものが利根方巡洋艦です。

大きな特徴は4基の主砲すべてが前部甲板へ集中していることです。これにより後部甲板は艦載機の搭載スペースとして確保され、砲撃時の爆風による艦載機の破損リスクがなくなりました。

主砲は後方への射撃を考慮し三、四番砲塔は後ろ向きに、二番砲塔は一段高く設置されています。また砲塔を集中したことで弾薬庫が1つになり、余裕ができた分、砲塔及び弾薬庫の防御装甲に割り当てることができ、日本海軍の保有する重巡洋艦の中でもっとも厚い装甲を持つ艦となりました。

1934年の起工段階ではロンドン軍縮条約の制限下にあったため、15.5cm砲を搭載した軽巡洋艦の予定でしたが、翌年に同条約から脱退し巡洋艦の保有制限が失効したことで20.3cm連装砲を搭載した重巡洋艦へ設計変更されました。

利根について

利根は1934年12月に三菱重工長崎造船所にて起工、1938年11月に竣工しました。翌年には2番艦の筑摩とともに第六戦隊として新編されますが、この部隊は重巡洋艦の青葉と古鷹で再編されたため、2艦とも第八戦隊として新編されたうえで南雲機動部隊の前衛として太平洋戦争開戦を迎えています。

ハワイ海戦以降も利根は南雲機動部隊に随伴し、機動部隊の目として活躍し、オーストラリアのポートダーウィン強襲に参加、インド洋進出に貢献しました。

1942年6月、太平洋戦争の大きな潮目であるミッドウェー海戦に参加しました(この際、利根のカタパルトが故障し、索敵機の発進が30分遅延したことが敗北の一因になったと指摘する声もあります)。本海戦で利根は1発の命中弾も受けなかったものの、日本海軍は決定的な敗北を喫することになります。

ミッドウェー海戦以降も利根はレイテ沖海戦を含む数々の海戦や攻略支援に従事した末、1945年1月に練習艦として呉練習戦隊に編入されます。同年の7月24日と28日の空襲で複数の至近弾を含む攻撃を受け、29日に着底し終戦を迎えました。

キットについて

那智同様、知人より貰い受けた旧キットです。パーツ数が少なく、ストレートに組むとおおらかな出来になるシンプルなもの。那智はストレートに組みましたが、利根製作時のテーマは以下の2点でした。

  1. 塗装には力を入れず、エッチングパーツを使うとどうなるか
  2. 空中線に力を入れてみる

製作にあたり同社のグレードアップシリーズNo.11 利根専用エッチングパーツを購入しましたが、このパーツはフジミの特シリーズの利根専用品で旧キットには使えない箇所が多く、泣きを見ることになりました。

手すりやカタパルト、クレーンなど各所がエッチングパーツに置き換わっていることが確認できると思います。エッチングパーツの接着は瞬間接着剤で行いますが、手すり部が特につらかったのを今でも覚えています。

空中線の再現はモデルカステンのメタルリギング0.06号を瞬間接着剤で接着しています。こうした空中線や機銃などの細かい部品の接着は集中力を要します。ピンセットや毛抜きなどがあるといくらか進めやすいと思います。

総評

今回は旧キットでも空中線とエッチングパーツだけで見映えはよくなるかという練習を兼ねた実験を行ないましたが、その結果はこれの前に作った那智と同じで、パッと見は良いが近くで見るとちぐはぐな印象を受けるものでした。

エッチングパーツを使った部分は見栄えはよくなりますが、ベースが何十年も前の旧キットなのでキットのままの場所がかえって目立ち、ちぐはぐとした印象になってしまいます。空中線については良い練習になったと思います。

今回の利根と前回の那智の製作を通じて、ベースキットの素性はもちろん、アフターパーツだけでなく、塗装などの全体のバランスを整えることの大事さを学びました。